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1月16日の新聞コラム「伝統を受け継ぐために」

1月16日の新聞コラム「伝統を受け継ぐために」
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。

1月16日。
「長崎新聞」が長崎の
珍しい年中行事を
紹介していました。

以下括弧内引用。
「畳を破って昔の合戦を再現する諫早市の楠公祭、子どもが「鬼」と書かれた的を射る新上五島町の「シノマタ」、大般若経を収めた木箱をくぐる松浦市の「大般若さま」・・・」

所変われば、
奇妙とも映るお祭りが
あるものですが、
その奇妙さについて
書かれているわけではなく、
様々な事情から、
こうした祭りの担い手が
不足しているそうです。

私は滋賀県湖北の生まれ。
地元では「おこない」という
伝統行事があり、
中学一年になると、
「若連中」という組に
所属させられ、
組の先輩方の前で
「ますらをの歌」を歌わされ、
(本当は何という歌なのか、
知らないのですが、歌詞に
「ますらを」という言葉があった)
大きな盃でお酒を飲みました。

中学生がお酒を呑むことが、
ここでは黙認どころか、
強制されており、
中学校もそれを認めておりました。
噂によると、
翌日二日酔いで休んだ先輩さえ、
「おこないなら仕方がない」と
許されたといいます。

この他にも若連中には
年がら年中、
何かと行事が付き纏い、
なかでも夏休み、
琵琶湖の対岸へ神社に敷き詰める
小石を取りに行く「砂取り」は
朝3時に起きて夜が明ける前に
船を出すというもので、
参加しなければ確か何万円かの罰金が
あったように思う。

若連中はその地元を離れるか、
結婚をしなければ、
脱退することができないため、
私はとにかく、
嫌で嫌で仕方なかったから、
京都の大学へ行くことにしました。
大学へ行きたいという気持ちが
強かったのは、
半分くらいは若連中から脱けたい、
という思いからだった気がする。

ちなみに、
結婚しなければ脱けられない、
というのはなかなか酷な条件で、
若連中なのに、
もはや若くはないだろう、という
大大大先輩が、いつまでも、
若連中に居座ったりもしていました。

ともかく、
私はいち早く脱け出した身なので、
伝統行事の担い手不足問題について
あまり偉そうなことは
言えませんが、
遠くから無責任なことを言うと、
長い間、受け継がれてきたものが
無くなってしまうのは
なんとも惜しい限りです。

なんたる身勝手!
この身勝手な言いようは
本土の人間の沖縄基地問題に対する
眼差しを代表しているかのよう
でもあります。

かと言って、
無責任だから何も発しないでも
いいのかといえば、
そんなこともないはずです。

担い手不足問題に関していうと、
伝統行事を受け継いでいくうえで、
いろいろと
時代にそぐわないことを
強要されることで、
遠のいてしまう私のような人間も
少なからずいるはずです。

能にしろ狂言にしろ、
歌舞伎だってお茶だって、
全て産声をあげたときから、
全く同じカタチで
残っているわけではなく、
時代に合わせ変化して、
残っているはずですから、
そういうところに、
ヒントがあるのではないかと、
逃げた人間には思えるのです。
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