お願いフルーツ「その他」
いったおこなった問題
ラジオの仕事をしていると、
いろんなニュースや
話題を番組で取り扱います。
お昼の番組では
共同通信から届くニュースや
新聞記事などを基にニュースを
お届けする枠があります。
今日入ってきたニュースで
気になるところがあったので
皆さんにも読んでいただくため、
以下に引用します。
大阪市平野区の市営住宅で、
近くに住む生後7ヶ月の女の子が
転落して死亡したとみられる事件で
殺人の疑いで逮捕された母親が、
「手すりで座らせたら落ちた」と
説明していることが分かりました。
「子どもをあやそうと、
手すりに座らせたら落ちた。
泣きやませるために
景色を見せようとして行った」
と説明しています。
↑以上抜粋して引用しました。
痛ましい事件である!とか、
近頃の母親ときたら、、とか、
そんなことをここで声高に
叫びたいのではありません。
最後から2行目に
注目してください。
私が気になるのは、
「景色を見せようとして行った」の
「行った」です。
これは
「いった」でしょうか?
それとも
「おこなった」でしょうか?
「いった」の場合、
どこにいったのでしょう。
文章からは
「手すりのある場所」としか、
わかりません。
「いった」ならば、
最低限、この「手すりのある場所」が
どこなのかを付け加えておく必要が
あると思うのです。
上記のような理由で、
私は「おこなった」と
読むのではないかと思うのですが、
しかし、「おこなった」だとすると
これは「手すりに座らせること」を
「おこなった」わけですよね。
赤子を死にいたらしめたことなついて
「おこなった」というのは、
丁寧すぎるのではないか、
とも思うのです。
母親が故意に落としたのか、
事故だったのか、
この文章では少なくとも、
母親が故意ではなかったことを
主張しているのはわかります。
故意ではないのだと仮定して、
やや形式的な表現に
したのでしょうか。
もし「おこなった」のだとしたら、
「やった」くらいに
してしまったほうが、
ニュアンスは
伝わりやすいようにも思います。
そんなことを
悩まないようにするにはまず、
まぎらわしい「行った」という表現を
はなから採用せず、
「景色を見せようとした」
「景色を見せたかった」などとすれば
問題はなかったでしょう。
もしくは「行った」に
ルビを振ることも現実的対策です。
ラジオは目ではなく、
耳に訴えかけるメディアなので、
読み方には神経を使います。
雑誌や新聞などなら、
ルビは必要ないところでも、
いま取り上げた
「いった」「おこなった」の他にも、
「明日」の「あすあした問題」や
「山の名前」の「やまさん問題」など
読みの問題は山積しています。
この山積している
「読み方問題」について、
もう少し私たち現場の者に
優しくしてもらいたく、
けっこう前から、そのことについては
各方面に申し上げているのですが、
なかなか改善はされませんね。
いろんなニュースや
話題を番組で取り扱います。
お昼の番組では
共同通信から届くニュースや
新聞記事などを基にニュースを
お届けする枠があります。
今日入ってきたニュースで
気になるところがあったので
皆さんにも読んでいただくため、
以下に引用します。
大阪市平野区の市営住宅で、
近くに住む生後7ヶ月の女の子が
転落して死亡したとみられる事件で
殺人の疑いで逮捕された母親が、
「手すりで座らせたら落ちた」と
説明していることが分かりました。
「子どもをあやそうと、
手すりに座らせたら落ちた。
泣きやませるために
景色を見せようとして行った」
と説明しています。
↑以上抜粋して引用しました。
痛ましい事件である!とか、
近頃の母親ときたら、、とか、
そんなことをここで声高に
叫びたいのではありません。
最後から2行目に
注目してください。
私が気になるのは、
「景色を見せようとして行った」の
「行った」です。
これは
「いった」でしょうか?
それとも
「おこなった」でしょうか?
「いった」の場合、
どこにいったのでしょう。
文章からは
「手すりのある場所」としか、
わかりません。
「いった」ならば、
最低限、この「手すりのある場所」が
どこなのかを付け加えておく必要が
あると思うのです。
上記のような理由で、
私は「おこなった」と
読むのではないかと思うのですが、
しかし、「おこなった」だとすると
これは「手すりに座らせること」を
「おこなった」わけですよね。
赤子を死にいたらしめたことなついて
「おこなった」というのは、
丁寧すぎるのではないか、
とも思うのです。
母親が故意に落としたのか、
事故だったのか、
この文章では少なくとも、
母親が故意ではなかったことを
主張しているのはわかります。
故意ではないのだと仮定して、
やや形式的な表現に
したのでしょうか。
もし「おこなった」のだとしたら、
「やった」くらいに
してしまったほうが、
ニュアンスは
伝わりやすいようにも思います。
そんなことを
悩まないようにするにはまず、
まぎらわしい「行った」という表現を
はなから採用せず、
「景色を見せようとした」
「景色を見せたかった」などとすれば
問題はなかったでしょう。
もしくは「行った」に
ルビを振ることも現実的対策です。
ラジオは目ではなく、
耳に訴えかけるメディアなので、
読み方には神経を使います。
雑誌や新聞などなら、
ルビは必要ないところでも、
いま取り上げた
「いった」「おこなった」の他にも、
「明日」の「あすあした問題」や
「山の名前」の「やまさん問題」など
読みの問題は山積しています。
この山積している
「読み方問題」について、
もう少し私たち現場の者に
優しくしてもらいたく、
けっこう前から、そのことについては
各方面に申し上げているのですが、
なかなか改善はされませんね。