京都フルーツ

1人目の客になれなかった話

1人目の客になれなかった話
涌井慎です。
趣味はオープンしたお店の
1人目の客になることです。

四条烏丸、
三井ビルの地下に
タリーズコーヒーが
今日オープンすることは、
何人かの知人に
教えてもらっていましたが、
今日は健康診断の日なので、
諦めておりました。

しかし、
一週間ほど前に
私に知らせてくれた方は私が
「知ってるけどその日は
健康診断なのですよ」と伝えると
「テイクアウトすれば
いいじゃないですか」と
言いました。

その発想は無かったため、
私は大変、大袈裟なことを言うと
世界が広がったように
感じました。
自分一人では
辿り着けなかった世界が
身近なところにも
こんなに広がっているものなのだ。

会話って大切。

そんなわけで、
今朝は7時30分にオープンする
タリーズコーヒーの
1人目の客になるために6時に起床。
隣の部屋の妻子のもとへ行くと
妻と長男は起きておりました。

もちろん妻は
私がオープンしたお店の1人目の
客になることを
趣味にしていることも、
今日が健康診断であることも
知っています。

今日はタリーズコーヒーが
7時30分にオープンするので、
早起きしたことを伝えると
「健康診断の日って
コーヒーは飲んでもいいんやね」
と言うので、
「いや、あかんから
テイクアウトするねん」と
伝えたら一言、
「あほちゃう?」と言われました。

はい。
あほなんです。
7時過ぎに三井ビルの入口に
到着すると、
まだビルのシャッターが
閉まっておりました。

三井ビルの入口は
地下と地上の間、半地下にあります。
地下から地上へ、
地上から地下へ行く人たちは
おそらくみんな会社員です。
女性の足音はコツコツ響く。
それぞれがそれぞれの
一日を始めるのです。

空気は乾いていますが、
さほど寒くはありません。
清少納言が趣があると書いたのは
もっと冷える朝なのでしょうし、
冬は寒いほうが冬らしいと
わかってはいるものの、
このくらいの寒さが
ちょうどいいというのが
正直なところです。
人間ってわがままだ。

7時20分頃、
私から少し離れたところに
黒い外套(コートのことを一回、
外套と書いてみたかった)の
眼鏡のお兄さんが立ち止まりました。

おや?
この人もタリーズ待ちかしら。
いやいや、まさか。
タリーズを
みくびるわけではないですが、
さほど珍しいお店と
いうわけでもないし、
新規開店だからといって、
ビルのシャッターが開くのを待つ、
なんてことをするのは
私くらいのものでしょう。
きっとこの半地下の踊り場が、
時間を持て余すのに
ちょうどいい場所なのだろう。

いや、もしもこの人が
タリーズのオープン待ちだとして、
何の問題があろうか。
私のほうがこの人よりも
シャッターの近くで
待っているのだから、
1人目の客は私であるべきなのだ。

7時30分。
シャッターが開く。
タリーズコーヒーの
店員と見られる人たちの
清潔感のある足が見えてきた。

気持ちが昂まる。
この足の持ち主たちも
私の足を確認して、
「待ってくれてる人がいる!」と
気持ちを昂らせているかもしれない。

やがて七分、シャッターが開くと
ズラリ居並ぶ店員の皆さんが
一斉に「いらっしゃいませ!」と
声を掛けてくださいました。

すると、
あの黒い外套眼鏡が、
私を横目で流し見て、
さっそうと追い抜き、
入口に向かおうと
するではありませんか!!

いやいや、あなた。
それはない。
その出し抜き方はない。
その出し抜き方は
昔の巨人のドラフトよりひどい。
負けじと私は
追い抜かれまいと早足で
入口へと向かいました。

影。

黒い外套眼鏡ではない影が
私より先に入口を通り過ぎました。

何が起きたのか、
私には瞬時には
理解できませんでしたが、
影は黒い外套眼鏡と似たような風貌の
おじさんでありました。
あまりにもさり気なく、
あまりにも当たり前のように
私の前を通り過ぎていったのと、
存在を否定したかったため、
影に見えてしまったのだ。

どうやらこの影は
タリーズコーヒーに
近しい影であり、
オープンしたら
1人目の客になるように、
シャッターの内部で既に
店員と共に
スタンバイしていたようです。

カウンターのお姉さんが
照れたように影に
「いらっしゃいませ!」と言えば
影が「モーニングセットください!」
とわざとらしく応える。
周りの店員たちがドッと笑う。

なんだいなんだい!!
全部出来レースなのかい!!

影は黒い外套眼鏡にも
「おまえはどうするの?」と
声を掛けました。
そっちも仲間か!!?

萎えた。
萎えてしまった。
私、ずっと涌井くんのことが
好きだったの。
ウルウルした瞳で彼女が言う。
「うっそぴーーーっ!
誰があんたみたいなのを
好きなものか、本気にして
バカじゃないの!?」
ってレベルのショック。

それでも私は
往生際が悪いものですから、
なんとか足跡を爪痕を残すため、
「お次のお客様、こちらへどうぞ」
と言われ、あわてて
「アイスコーヒー持ち帰りで」と
影よりも先にオーダーを済ませ、
影よりも先にアイスコーヒーを
手にして店を出ました。

本日、四条烏丸の三井ビルに
オープンしたタリーズコーヒーの
1人目の客は私ではありません。
しかし、1人目に
精算を済ませたのは私です。

健康診断へ向かいます。
TOP