お願いフルーツ「その他」

ラジオの話「いただけます」の違和感

ラジオの話「いただけます」の違和感
ラジオの番組制作のなかで
原稿作成は大きな仕事の一つです。

この仕事のおかげで、
改めて「日本語」について、
興味を持つようになりました。

ひと口に原稿作成と言いましても、
原稿の種類はいろいろですが、
今日はそのうちの、
ある原稿について、
引っ掛かったことについて
書きます。

その原稿作成の仕事というのは
依頼主が発行している情報誌から
1ネタをピックアップして、
ラジオで紹介する用に
原稿を作成するというものです。
ネタをピックアップするのは
依頼主です。
基本的に情報誌に
書かれていること以外は
書いてはいけないことに
なっています。

例えば、
「由利公正」という人物について、
「福井藩士である」など、
補足をしたくても、
情報誌に「由利公正」としか
書かれていなければ、
何も付け足しては
いけないことになっています。

近頃担当の方が変わられたのか、
この原則が以前よりも
厳しくなった気がしていて、
先日はラジオで聴きやすいように
「約」を「およそ」に
書き換えていましたら、
「およそ」が横線で消されて、
「約」と赤字で
修正されていました。

これについては、
ラジオの決まりのようなものなので
(耳に訴えるラジオでは
「約」が「百」に
聴こえてしまうのを避けるため、
「約」は「およそ」にしている)
「およそ」で放送させてくださいと
頼みましたが、
ここまで原本への忠実さを
求められるのか、、、と、
ため息が出ました。

そんなこともありましたので、
なるべく原本の情報誌に
忠実に原稿を書いていたところ、
情報誌のなかに、
こんな文章がありました。

「濃厚なカキを
朝獲れでいただける」

まず、私は
「朝獲れ」が気になりました。
ここは「その日の朝に獲れた」
などとしたいところなのですが、
おそらく書き換えても、
元通りになって返ってくるだろうと
判断して、
ここは変えませんでした。

もう一つ気になったのが、
「いただける」です。

こちらは、
何が気になるのか、
自分でも、
よくわからなかったのですが、
それでもとにかく、
「なんか気持ち悪かった」ので、
「朝獲れを味わえます」に
変えました。
(朝獲れ「で」も気になった)

それで依頼主がチェックして、
返ってきたものを
確定原稿として、
放送で使用するのですが、
返ってきたのがこちら。

「濃厚なカキの朝獲れが
いただけます」

ああ、
やはり「いただけます」になって
返ってきたか。。
ついでに「を」が「が」にも
なっているが、これについては
とりあえずここでは言及しない。

返ってきたときに、
ようやく、
どうして気持ち悪いのか、に
気付きました。

「いただく」というのは、
「謙譲語」ですね。
謙譲語というのは、
相手を立てるために
自分がへり下る言葉です。

ではこの文章は、
誰が誰にへり下っているのか、
と言いますと、
朝獲れの濃厚なカキを
提供する側の人(お店です)に
原稿の読み手(DJ)が
へり下っています。

しかし、
読み手のDJが、
いちばん敬意を払うべき相手は
カキを提供するお店ではなく、
番組を聴いてくださっている
リスナーの皆さんです。

ところが、
「いただけます」を使うと、
カキを提供するお店が、
敬意を払う偉い存在になるため、
相対的にリスナーの皆さんの
位置が下がってしまうのです。

「いただけます」が
気持ち悪いと感じたのは、
これが理由だったわけです。

自分の中では、
とてもスッキリしたのですが、
果たして本当にこれは
正解なのでしょうか。

正直わからないのですが、
こういうところを
ちゃんと考えることは
ラジオというメディアが、
廃れていかないために
とても大切であると考えます。

しかし、残念ながら、
現状はというと、
依頼主から降りてきた原稿は
「つべこべ言わずに
そのまま読めばいいんだよ」
という態度が目立ちます。

そういう態度の方に対して、
以前は真っ向から反対意見を述べて、
意見を戦わせておりましたが、
暖簾に腕押し、
のらりくらりと交わされ、
時には罵倒されることもあり、
全くこちらの意見を
汲み取ってくれないものですから、
最近は徒労を感じるため、
通じない人には、
何も言わなくなっています。
無力化です。

「相手を無力化させる」という戦法は
桜を見る会のことも
IR汚職のことも
まともに討論しようとしない
あの方に通じるものがあります。

どうしてあの政権が支持されるのか、
私は残念ながら、
痛いほどよくわかってしまうのです。
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