お願いフルーツ「その他」

『文字を失う男』

『文字を失う男』
文字を失う男

あなたのことを愛してる。
あなたのことを愛してる。
あなたのことを愛してる。
 
私はこの心の中にある
「あなたのことを愛してる」という
気持ちを「あなたのことを
愛してる」としか
表現してきませんでした。
それは「あなたのことを愛してる」
という気持ちを正確に表現するには
「あなたのことを愛してる」と
言うしかないと考えていたからです。
 
しかし、一度めの
「あなたのことを愛してる」は
100%あなたに伝わりますが、
二度目になると
半分も伝わらなくなります。
ましてや三度目になると、
どれだけあなたのことを愛していても
三分の一も伝わらなくなります。
 
所詮私は あなたへの愛情表現を
手抜きしていたんです。
そのため、私は
天罰を受けることになりました。
まもなく私は
命を失うことになりました。
しかも私は 命を失うまでのあいだ、
一文字ずつ、一文字ずつ、文字を
失うことになってしまったのです。
 
何を言っているのか、
わからない方も
おられるかと思いますが、
このあと、私に起こる出来事を
ご覧いただければ、
おわかりいただけるかと思います。
 
そんなことを言っているうちに
私は間もなく、
あなたのことを「あなた」と
呼ぶことができなくなります。
「愛している」とも
言えなくなります。
私の中から、
「あ」という文字が消えていきます。
 
私の中に「あ」がない
 
君のことが愛しい。
君のことが愛しい。
君を抱きたい、君を抱きしめたい。
君の顔が好きだ、君の顔が好きだ、
君の顔が好きだ。
そんな歌を歌っている
歌うたいがいたよな。
 
君の顔が好きだから、
君の顔を見ながら君を抱きたい。
君の苦悶とも恍惚ともとれる表情を
眺めながら君を抱きたいから、
動物たちがするように
後ろから君を貫くのではなく、
人間にだけ許された姿勢で
君のことを抱きたい。
 
しかし私は間もなく「君」のことを「君」と呼ぶことができなくなる。
「抱きしめたい」ともいえなくなる。
私の中から「き」という文字が
消えていくから、
「消えていく」ともいえなくなる。
 
私の中に「あ」と「き」がない
 
私は ただいまのところ、
文字を二文字だけ
失っただけでございますが、
すでに非常に言葉を選びながら
話しをしなければならないように
なっている次第でございますが、
面白いもので、このように
言葉を選びながら話しておりますと、
どういうわけか、話し方が
まさに。まさに。ですね。
我が国の総理大臣に
似てしまうのでございますが、
それはすなわち、
わが国の総理大臣がですよ。
まさに。まさにですね。
常日頃から言葉を選びながら
話をしないといけないほどに
心のなかにとち狂ったものを
お持ちだという証拠にですね。
非常に、まさに。
ほかならないわけでございますが、
そんなことを申しているうちに、
私のなかから、また一文字、
なくなっていく次第でございます。
 
私の中に「あ」と「き」と
「ぬ」がない
 
いま、失われた文字について
申しますと、
さほど問題には
ならないのではなかろうかと
思う次第でございますが、
しいて問題になる場面を
想定するならば、
我が国において
五本の指に入るほどに有名な
彼の妖怪の名前を呼ぶ際、
はたまた北斗の拳の長兄
「ラオウ」の使う二人称を使う際に
困ることになる次第でございますが、
さいわいなことに日常において私、
妖怪の名前もラオウの二人称も
使用する機会がございませんので、
さほど問題には
ならない次第でございますが、
しかしながら、申し遅れましたが私、「涌井」と申しますが、
まもなく私、自分の苗字を呼ぶことが不可能になる次第でございます。
また、自分のことを「私」と
呼ぶことも不可能になる次第で
ございます。
私のなかから「わ」という文字が
失われるので、
「失われる」とも
いえなくなる次第でございます。
なお、「わ」が失われても「私は」「そなたは」の「わ」は
「は」なので、
使うことが可能となっていますので、
いまのうちからご了承くださればと
思う次第でございます。
 
余の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」がない
 
余はそなたのことを
愛おしく思っているよ。
そなたは余のことを
どう思っているんだろう。
余はそなたを世の中で
最も美しいと思っているよ。
かといって世の中でそなたが
一番美しいかといえば、
そんなことはないよ。
でも、そんなことがなくて
よかったと思っているよ。
もしも余にとってだけでなく、
世の中において、
そなたが最も美しいのだとしたら、
倍率が大変なことになるよ。
だから余にとって、
世の中で一番美しい
というだけでいいんだよ。
余はそなたと夜を共にしたいよ。
夜ごと、そなたと
世の中のことを憂いながら、
全てのことを 捨ておいて、
余はそなたを抱いていたいよ。
そんな世迷言に憧憬の念を
抱いているよ。
もう予想がついている人も
いると思うよ。
予想通りにことが進むよ。
余の中から「よ」という文字が
なくなるよ。
 
僕の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」がない
 
僕ね、まだ僕が存在していることを
失念していたね。
僕にはまだ僕が存在していたね。
僕はいま、「僕」に助けられたね。
 
僕は そなたが
愛おしくてしかたないね。
僕は そなたと都の町並みを
徒歩してみたいね。
もう名前をいうことが不可能になった東山区に存在している
舞台から飛び降りたりする
世界遺産のお寺から坂を下りてね。
高台寺から「ねねの道」を通ってね。
いま、「ね」という文字に
フラグが立ったね!
「ねねの道」を通ってね、
かの有名な花街を通って、
かの有名な河川にたどりつくとね。
「と、いうことで」みたいな名前の
ホテルが存在しているね。
ホテルで僕とそなたは
熱を帯びた粘膜と粘膜を
くっつけてね。
やがて二人は懇ろになるんだね。
しかし僕はまもなく、
そなたにやさしく語りかけることが
不可能になるね。
 
僕の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」がない
 
苦しい、苦しい・・
だんだん苦しくなってまいりました。
例えば これから、僕のなかから
「く」という文字がなくなっても、
苦しいといえなくなるだけで、
この心の中に存在している
苦しいという思いは
なくならないんだ。
 
いっそのこと、
この苦しみも
なくなってくれればいいのに、
苦しさだけが残って
苦しいとはいえなくなるから、
苦しいというこの思いを
違う言葉にしなければならない。
 
どうすればいいんだろうか。
でも、いまのところ、
六つの文字がなくなったけど、
いまでも僕の中から、
そなたのことを愛しいという思いは
なくなっていないから、
それならやはり、
「く」がなくなっても
苦しさが残ることは
納得しないといけないな。
 
そんなことを言っているうちに、
また僕のなかから、
一つの文字がなくなっていく。
この流れだと「く」がなくなるのかと思ったかもしれないけど、
「く」はなくならないんだ。
「く」の下の文字がなくなるんだ。
 
僕の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」がない
 
(毛髪を触りながら)
まだ存在している。
こっちもなくなってしまったかと
心配になったが、
こっちはまだ存在している!
助かった。。
これで僕は自分に
毛髪がないことを人にいじられる前に
自分でいじることで
小さなプライドを保つことを
しないですむ。
自分の毛髪がなくなっても、
それだけはするまいと
心に誓っているんだが、
実際に毛髪がなくなってしまったら、
それをするかもしれないほどに
僕は軟弱な男だからな。
 
ところで
僕は いま、何文字か失っていますが、
体は いたって健やかで康です。
この健やかで康というのも、
いましがたなくなった文字が
まだ存在していれば
簡単にいうことが可能なんですが、
なくなってしまったので
健やかで康といっています。
どうして僕が健やかで康で
いられるのかというと、
酒類は たしなむ程度、
白色のブドウ酒や
白色じゃないブドウ酒をたしなみ、
飲み方もスマートで、
内臓に負担を強いることもないため、
僕は いま、
とても健やかで康なのです。
しかし、このまま
文字がなくなっていくと、
僕は この健やかさまで
なくしてしまうかもしれないですが、
とにかく僕は 健やかで康なうちに、
そなたとセックスがしたい。
セックスがしたい。
どうして唐突に
「セックスがしたい」と
いったのかというと
もうすぐ僕は セックスということも
不可能になるからです。
僕の中から「せ」という文字が
なくなります。
セックスのことを
どうやっていえばいいのかと
思い悩んでいます。
 
僕の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」
「せ」がない
 
エックス、エックス!エックス!!
エックスでいいじゃないか。
これなら、少し
イニシャルトークっぽくなって、
いやらしさがなくなって、
このほうがいい感じなんじゃないか。
か~んち!エックスし!!!
とにかく、これから 皆さんも
エックスといえばいい。
僕は そなたとエックスがしたい。
ほら、ずいぶんと
いやらしさがなくなったじゃないか。
これなら白昼堂々と
声高らかに言うことが可能です。
ラジオのDJもお昼の番組で
エックスがしたいといえばいい。
しかし、エックスという
いい言葉を発明したのに、
まもなく僕は「エックス」と
いうことが不可能になる。
思えば短い命でした。
「エックス」ということも
不可能になるし、
僕のことを「僕」ということも
不可能になる。
僕のなかから「く」という文字が
なくなるから「なくなる」とも
言えなくなる。
最後にもう一度言っておく。
か~~んち!エックスし!!
 
俺の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」
「せ」「く」がない
 
苦い、苦いな。心が苦いな。
俺は 心が苦い。苦味ばしっている。
心には苦みが存在していて、
悲しみが存在していて、
寂しみも存在していて、
つまり、やばみがいっぱいで、
それは おまえへの愛しみが
満ち満ちているということだ。
近頃は やたらと「み」を
使う人が多いらしいな。
理解が不可能と思っていたが、
「み」という文字も
なかなか使えるな。
おまえと俺は
お互いを見つめ、見つめする。
俺は おまえの瞳に
映る俺を見つめる。
それなりにいい男に映っている。
おまえに俺は
こんな風に見えているんだな。
俺も まだまだ
捨てたもんじゃないな。
しかし、俺は また一つ、
文字を捨てないとならない。
 
俺は もう、
「苦み」とも「悲しみ」とも
「寂しみ」とも「やばみ」とも
いえないことになる。俺のなかから
「み」という文字が捨てられる。
 
俺の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」「せ」
「く」「み」がなくなる
 
近頃流行りの話し方を覚えたのに
もう使えないことになるとはな。
しかし、俺は そんなに
悲観はしていない。
いいですか。
「苦い」「悲しい」「寂しい」
「やばい」「いとおしい」。
全て「い」で言い換えられるんだ。
いや、もともとが
「い」だったんだから、
元通りに戻ったといえる。
つまらない流行りになど
左右されずに
ぶれずにこれからも
言葉を大事にすることにする。
言葉を大事にするのと同じ風に、
俺は おまえのことも大事にするから、
俺とおまえで夫婦にならないか?
ふつつかな俺ですが、二人、
夫婦になって、
ふらふらになるまで、
二人でこれから、
手をつないで徒歩していこう。
しかし、俺とおまえが
夫婦になることは
難しいかもしれない。
だって、だって、俺は
「ふ」という文字を失ってしまう・・
 
俺の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」「せ」
「く」「み」「ふ」がない
 
俺とおまえ、
目と目を眺め、眺めして、
お互いの思いを確かめ確かめしたい。
俺の目にはおまえが、
おまえの目には俺が映っています。
俺はおまえの目に映る
俺をじっと眺める。
それなりにいい男ではないか。
おまえにはそんな感じに
映っているのなら、
俺もまんざらではない。
捨てたもんではない。
面倒な言い方はやめにします。
やはり、俺は
おまえのことがいとおしい。
たまらないほどにいとおしい。
ずっと目に映していたい。
でも、それも難しいかもしれない。
俺は「め」という文字を失うから・・
 
俺の中に「あ」「き」「ぬ」
「わ」「よ」「ね」「け」「せ」
「く」「み」「ふ」「め」がない
 
力を入れて、
おまえに俺の思いを伝えたい。
文字を失ったのだから、
力を入れるしかない。
一語一語に力を入れて、
小さな男が
おまえに存在している愛おしさを
伝えるには、力を入れるしか
ないんだ。
そうして俺は おまえと
唇と唇を重ならす。
俺の思いがおまえに着地する。
しかし、俺は「ち」という文字を
失ってしまう・・
 
俺の中に「あ」「き」「ぬ」「わ」
「よ」「ね」「け」「せ」「く」
「み」「ふ」「め」「ち」がない

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このような感じで
先日の「涌井大宴会」の
「文字を失う男」の台本を
作っておりましたが、
細かいところは結局、
台本通りになりませんでした。

筒井康隆さんの
『残像に口紅を』への
オマージュで、パクリと言われれば
それまでなのですが、
自分史上最高の出し物ができました。
実はこの続きも台本は
作っているのですが、
またいつかどこかで。

いつかどこかで、といえば、
いつかどこかで、
ちゃんと五十音全てが無くなるまでを
何時間かけてもいいから、
やってみたいですね。
お客さんは
しんどいかもしれませんが。

改めて、
涌井大宴会in磔磔に
お越しいただいた皆様、
ありがとうございました。
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