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水墨画で描かれた小方丈

水墨画で描かれた小方丈
雑誌の文章のことは
専門ではないのですが、
おそらく「何文字で書くこと」
などと文字数の決まりがあり、
それを守るために
ある表現を削ったり、
別の箇所に表現を付け加えたり、
そういう作業が
あるのではないでしょうか。
そういう作業を続けるなかで、
もとはちゃんとしていた文章が
おかしくなってしまうということが
起こってしまうのかもしれません。

とある情報誌に
京都の知恩院について
書いている箇所があり、
明らかにおかしい部分を
見つけました。

以下、括弧内に
そのまま書きます。

「徳川家康が浄土教信者であったことから将軍家の庇護を受けてきた浄土宗の寺院。大方丈(重文)の上段の間や鶴の間は、狩野派の絵師が手掛けた金碧障壁画で彩られている。水墨画で描かれた小方丈(重文)や、東山の地形を生かした方丈庭園もあわせて拝観できる。」

おかしい部分、
おわかりでしょうか。

「水墨画で描かれた小方丈」は
おかしいですよね。
大方丈(の上段の間と鶴の間)には
狩野派の絵師による
金碧障壁画があるのはわかります。
※「金碧障壁画」っていうのも
どんなものかわからないので、
個人的には少し
説明がほしいですが。

おそらく、
大方丈の金碧障壁画と同じく、
小方丈は水墨画が
見どころなのでしょう。

気になるので
知恩院のHPを見てみると、
小方丈のところには、
「小方丈は6室から成り、
大方丈とは対照的な水墨画が
描かれています」とあります。

やはり、
(当たり前のことですが)
小方丈は
水墨画に
描かれているのではなく、
小方丈に
水墨画が描かれているのです。

「水墨画で描かれた小方丈」では
水墨画のなかに
小方丈が描かれているようにしか
解釈できないですよね。

正しく表現するなら、
「水墨画の描かれた小方丈」
とするか、あるいは
「水墨画で彩られた小方丈」
ではないでしょうか。

ただ、
その前の大方丈の金碧障壁画で
「彩られている」を
使ってしまっているため、
「彩られている」を重ねることを
避けたのでしょう。

そこで「描かれた」を
採用したのですが、
それに伴い助詞を変更することを
忘れたのではないか。

そういう、
完成に至るまでの経緯を
想像するのは
なかなか楽しいものです。
合っているかどうかはわからないし
あまり良い趣味とも思えませんが、
一つの記事を仕上げるために
人が汗を流していることが、
わかるので、
微笑ましかったりもするのです。



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