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羅生門の下人と岩手の病院の臨時職員

羅生門の下人と岩手の病院の臨時職員
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。

3月2日。
「茨城新聞」のコラムは
「93歳最後の同窓会」。高齢男性3人のささやかな集いを伝える記事に目が留まった。という書き出し。

昨年9月、
水戸市内で3人の93歳が
旧交を温めたという、
微笑ましい記事ですが、
いまなら93歳のおじいちゃんが
どこかに集まるなんてことが、
心温まるどころか、
自殺行為になりかねないな、と
いまの世の殺伐さを
憂いてしまいました。

ラジオ番組に寄せられる
メッセージのなかにも、
殺気あるものが混ざるように
なってきました。

芥川龍之介の『羅生門』を
思い出します。
飢饉や辻風、天変地異により
衰微した京の都。
荒れ果てた羅生門に下人が一人。
遺体だらけの楼閣の上では
老婆が一人、死体の髪を
引き抜いています。

この女の髪の毛を引き抜いて
鬘にしようと思ったんじゃ、
そうしないと、
わしは死んでしまう。
生きるために仕方なしに
やったことなんじゃ。

自分が盗賊に身を貶すことを
躊躇っていた下人でしたが、
老婆のその言葉を聞き、
盗賊になる決意をし、
手始めに老婆の衣服を剥いで、
闇の中へ消えていく。

なんという殺伐とした世界。
まさか現世で、
羅生門の世界を想像するなどとは
思いもよりませんでしたが、
「東奥日報」のコラムは
驚くべき所業について
取り上げていました。

以下引用。
「新型コロナウイルスの感染拡大に伴いマスクが品薄の中、岩手県立二戸病院の臨時職員が倉庫から備品のマスクを持ち出し、フリーマーケットアプリで横流ししていたのだ。」

いったいこの臨時職員に
羅生門の下人のような
葛藤はあったのでしょうか。

「高額で取引されていると知り、
やった。」との供述には
あの下人の、あの老婆の、
「生きるためには仕方ない」
という切迫は微塵もない。

やむにやまれぬ事情など、
どこにも無いのです。

下人の心に生まれた決意も、
悪魔的なのかもしれません。
しかし、そこには
悪魔なりの正義があるように思う。
しかし、現代の悪党は
悪魔なりの正義さえも
失ってしまったのです。

マスクより、
トイレットペーパーより、
オムツよりも、
決定的に不足していて、
残念ながら、
どこに行っても手に入らない。
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