お願いフルーツ「その他」
私の「で」を知りませんか
ラジオの仕事のなかで
気になった言葉や表現について
書き記しております。
依頼主から届いた資料をもとに
原稿を作成し、
その作成した原稿を
依頼主に送付。
添削して返ってきたものを
確定原稿として使用する、
という流れの仕事があります。
この返ってくる確定原稿について、
別に間違ってるわけではないけど、
私とは考え方が違うなー。
という場合が割とあるんです。
つい先日も、
こんなことがありました。
まず、
私の原稿案です。
「能登の伝統文化「花嫁のれん」の常設展示などを鑑賞できる「花嫁のれん館」などで、石川・七尾の文化に触れてみてください。」
続いて返ってきたのがこちら。
「能登の伝統文化「花嫁のれん」の常設展示などを鑑賞できる「花嫁のれん館」など、石川・七尾の文化に触れてみてください。」
一見、どこが変わったのか、
わからないかもしれませんが、
変わったのは最後の部分。
「花嫁のれん館」などで、
と書いていたものが、
「花嫁のれん館」など、
に変わっております。
「花嫁のれん館など」とすると、
「花嫁のれん館」そのもの、
どちらかというと、
外観や建物自体が
石川・七尾の文化であるように
聞こえませんかね。
いっぽうで、
「花嫁のれん館などで」とすると、
花嫁のれん館の内部に
展示されているものが、
文化の主体になります。
私はどちらかというと、
建物そのものよりも、
中にあるものを
体感することでこそ、
石川・七尾の文化に
触れることができると思うので、
あえて「で」を付けたのですが、
どうやらニュアンスを
くみとっていただけなかったか。
理由はわからないのですが、
ともかく、
「で案」は却下されたのでした。
一文字あるかないか、
それだけでも、
ずいぶんとニュアンスは
変わるものであり、
別に私が100%正しいとは
思っていないのですが、
その細かい部分まで、
こっちは注意しながら
書いているっていうことを
どのくらいわかってもらったうえで
「で」を消してくれているのかな?
なんてことを考えこむ、
健やかさを著しく欠いた
癖のある人間が私です。
気になった言葉や表現について
書き記しております。
依頼主から届いた資料をもとに
原稿を作成し、
その作成した原稿を
依頼主に送付。
添削して返ってきたものを
確定原稿として使用する、
という流れの仕事があります。
この返ってくる確定原稿について、
別に間違ってるわけではないけど、
私とは考え方が違うなー。
という場合が割とあるんです。
つい先日も、
こんなことがありました。
まず、
私の原稿案です。
「能登の伝統文化「花嫁のれん」の常設展示などを鑑賞できる「花嫁のれん館」などで、石川・七尾の文化に触れてみてください。」
続いて返ってきたのがこちら。
「能登の伝統文化「花嫁のれん」の常設展示などを鑑賞できる「花嫁のれん館」など、石川・七尾の文化に触れてみてください。」
一見、どこが変わったのか、
わからないかもしれませんが、
変わったのは最後の部分。
「花嫁のれん館」などで、
と書いていたものが、
「花嫁のれん館」など、
に変わっております。
「花嫁のれん館など」とすると、
「花嫁のれん館」そのもの、
どちらかというと、
外観や建物自体が
石川・七尾の文化であるように
聞こえませんかね。
いっぽうで、
「花嫁のれん館などで」とすると、
花嫁のれん館の内部に
展示されているものが、
文化の主体になります。
私はどちらかというと、
建物そのものよりも、
中にあるものを
体感することでこそ、
石川・七尾の文化に
触れることができると思うので、
あえて「で」を付けたのですが、
どうやらニュアンスを
くみとっていただけなかったか。
理由はわからないのですが、
ともかく、
「で案」は却下されたのでした。
一文字あるかないか、
それだけでも、
ずいぶんとニュアンスは
変わるものであり、
別に私が100%正しいとは
思っていないのですが、
その細かい部分まで、
こっちは注意しながら
書いているっていうことを
どのくらいわかってもらったうえで
「で」を消してくれているのかな?
なんてことを考えこむ、
健やかさを著しく欠いた
癖のある人間が私です。