お願いフルーツ「その他」
責任を取らない人ほど出世する
昨日、
ラジオのDJをしている方と
話をする機会がありました。
その方が、
以前、制作のスタッフの言葉で
激しくショックを
受けたことについて
話をしてくれました。
何があったのか、というと、
そのDJは、
制作スタッフの作った原稿を
番組のなかで読みました。
読んでみて、
明らかにおかしい箇所に
気づいたものの、
そのまま読みました。
番組が終わったあとに、
「あの部分、
おかしかったですよ」と
制作スタッフに指摘したところ、
「そういうことは、
事前の読み合わせの際に
言うべきものであり、
終わったあとに、
僕に言ってくるのはずるい」と
言われたそうです。
話を聞いていて、
私はこのような理屈が
存在してしまうのか、と
強烈に驚きました。
その制作スタッフの頭の中には
「悪いのは誰なのか」しか
無いのです。
間違った原稿を
用意した自分が悪いのか。
いやいや、
間違ったのは自分だとしても、
事前に読み合わせまでしていて、
終わったあとに、
間違っていたと指摘するDJは
責任逃れもいいところだ。
自分は悪くない。
悪いのはそのまま読んだDJだ。
ということで、
納得するのでしょう。
そこには
間違った言い方の放送を
聴かせてしまった
リスナーの皆さんに対する
申し訳ないという発想が
微塵も感じられないのです。
それを言ってのけた
制作スタッフは、
私よりもキャリアのある
ベテランディレクターらしい。
私には信じられないのですが、
しかし、これまでのキャリアで
「責任を取る」ということを
巧妙に避けてきたからこそ、
ベテランディレクターとして、
それなりに出世している、
とも言えます。
自分の身の回りにも、
政治の世界にも、
見渡せば、
いくらでもそういう人はいます。
斜陽と言われる業界には
そういう人が多いのかもしれない。
そして自らが身を置く業界が
斜陽であることについても
決して責任を
取ろうとはしないのです。
ラジオのDJをしている方と
話をする機会がありました。
その方が、
以前、制作のスタッフの言葉で
激しくショックを
受けたことについて
話をしてくれました。
何があったのか、というと、
そのDJは、
制作スタッフの作った原稿を
番組のなかで読みました。
読んでみて、
明らかにおかしい箇所に
気づいたものの、
そのまま読みました。
番組が終わったあとに、
「あの部分、
おかしかったですよ」と
制作スタッフに指摘したところ、
「そういうことは、
事前の読み合わせの際に
言うべきものであり、
終わったあとに、
僕に言ってくるのはずるい」と
言われたそうです。
話を聞いていて、
私はこのような理屈が
存在してしまうのか、と
強烈に驚きました。
その制作スタッフの頭の中には
「悪いのは誰なのか」しか
無いのです。
間違った原稿を
用意した自分が悪いのか。
いやいや、
間違ったのは自分だとしても、
事前に読み合わせまでしていて、
終わったあとに、
間違っていたと指摘するDJは
責任逃れもいいところだ。
自分は悪くない。
悪いのはそのまま読んだDJだ。
ということで、
納得するのでしょう。
そこには
間違った言い方の放送を
聴かせてしまった
リスナーの皆さんに対する
申し訳ないという発想が
微塵も感じられないのです。
それを言ってのけた
制作スタッフは、
私よりもキャリアのある
ベテランディレクターらしい。
私には信じられないのですが、
しかし、これまでのキャリアで
「責任を取る」ということを
巧妙に避けてきたからこそ、
ベテランディレクターとして、
それなりに出世している、
とも言えます。
自分の身の回りにも、
政治の世界にも、
見渡せば、
いくらでもそういう人はいます。
斜陽と言われる業界には
そういう人が多いのかもしれない。
そして自らが身を置く業界が
斜陽であることについても
決して責任を
取ろうとはしないのです。