お願いフルーツ「その他」

知らない言語を学ぶということ

知らない言語を学ぶということ
何で読んだのか、
誰が書いていたのか、
忘れてしまったのですが、
「母語以外の言語を
知れば知るほど、
世界が広がります」と書いてあり、
至極尤もなことであるな、と、
これほど人の話に納得できたのは
久しぶりではなかろうか、と、
たいていその時は納得しても、
後から後から、
おかしなところが浮かび上がり、
どうして俺は
あのような虚言妄言に
納得をしてしまったのか、と
後悔しか残らないことのほうが
多いのですが、
こればっかりは
月日が経てば経つほど
味わいが深くなるばかり。

賢い人たちは
二十歳そこそこの頃には
この真理に気付いていて、
少なくとも英語だけは
ある程度習得していたり
するわけなのですが、
二十歳そこそこの私はといえば、
日本人は日本語だけ
話しておけばいいんだ、
どうせ海外旅行なんて行かないし
日本に来るなら
日本語くらい覚えてきやがれと
誰に逆ギレしているのか、
わからないながら、
そんな気分でおりまして、
結果、その排他的思想を
覆すまでに20年余り
経過してしまったというわけです。

そこで、
なんとなく簡単に
始められそうな言語を
大垣書店の外国語学習の棚で
探していたところ、
『1時間で読めるようになる
ハングル』みたいなタイトルの本が
目につきまして、
これにしよう!と決めたのが、
ハングルを勉強しようと思った
きっかけなのであります。

ちょうど、
大学に入学して、
なんか面白そうだから、
音楽サークルに入ったものの、
やばいな、そういえば、
私ったら昔、音楽の授業で
ピアニカとリコーダーを
使ったことがあるくらいで、
全然楽器なんてダメじゃん!
っていう楽器初心者女子が、
とりあえず弦が少ないから、
という理由でベースを始めるのにも
似ています。

俺にとってのハングルは
あの女子たちのベースだったんだ。

別に上手く
ならなくたっていいじゃん。
楽しければそれでいいじゃん。
っていうくらいの軽い気持ちで
他言語に触れてもいいじゃん。

というわけで、
近頃はハングルが
前よりは身近になり、
京都駅のホームを歩いていても、
昔は全く気にならなかったのに
やたらとハングルが
目に飛び込んでくるように
なったのです。

知らない言語を覚えるのって
究極の若返りやと思います。
赤ちゃんの頃に戻れます。

そうやってして、
最初に覚えたハングルが、
「京都」なのでした。
画像がそれです。

カギカッコの下に
コンセントみたいなのが「キョ」。
Eの下に
プロペラみたいなんで「ト」。
「キョト」です。

覚えたてなものですから、
こういうの、
めっちゃ人に言いたいんです。
お付き合いいただき、
ありがとうございます。
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