お願いフルーツ「その他」

生と死について

生と死について
涌井慎です。
趣味は新聞各紙のコラムを
読むことです。

3月23日。
私事ではありますが、
1日前は父の一周忌でした。
そんなこともあったからか、
はたまた、やたら登場人物が死ぬ
北方謙三『水滸伝』を
読み進めているからなのか、
「高知新聞」のコラムが
胸に響きました。

以下、括弧内引用。
「柳田国男の「遠野物語」にこんな話がある。1896(明治29)年の三陸地震の津波で妻子を亡くした岩手県田の浜(現山田町)の男が、生き残った子ども2人と小屋を建てて暮らしていた。1年ほど後の夏の月夜に、亡き妻が結婚前に心を交わしていた男と現れ「今はこの人と夫婦になっている」と言う。「子どもがかわいくはないのか」と尋ねると、女は顔の色を変えたがやがて姿は見えなくなった。物悲しい話が伝承されていたのはなぜだろう。災害で失った人を慕う気持ちの強さもあったろう。死者も別の世界で幸せに暮らしている。そう信じることで区切りをつけて、生活の再建に向かおうとしたのだろうか。」

あの世で幸せな暮らしを
送っているのなら、
それはそれで嬉しいけれど、
何も元彼とよりを戻さんでも
ええんじゃないですかね。
私なら嫉妬の炎を
燃やしてしまうかもしれません。

いや、誰もがそうでしょう。
そのくらいの激しさがなければ、
理不尽に最愛の人を奪われた
苦しみを乗り越えて、
あの世で幸せに暮らしているだろう
などと割り切ることは
到底不可能なのではないかしら。

思えばそんな
「生と死」というものについて、
漠然とでも考えるきっかけに
なったのは私にとって、
小学低学年頃に経験した
祖父の死ではなかったかしら。

いま、小学3年生の長男、
もうすぐ6歳になる次男は、
ちょうど1年前に
彼らの祖父の死を経験しました。
次男はまだなんのことか、
よくわからなかっただろうけど、
長男なんかは、
ひょっとすると、
「死んだらどうなる?」
ということを、
寝る前なんぞに
思っているかもしれません。
私もまさにそうでしたから。

臨時休校のため、
長男は1人自宅で
留守番ということが多かったので、
それもまた、
いろいろと考えるきっかけに
なったかもしれないし、
ならなかったかもしれない。

「北海道新聞」は
学校の休みが続き、
家でふさぎ込みがちになる
子供に向けて、
ハリー・ポッターシリーズを
読むことを薦めていました。

「作者のJ・Kローリングは20代後半、うつ症状に悩まされていた。シングルマザーで収入がなく、死にたいと思ったが、医師は深刻に受け止めなかった。そのころ思い立ったハリー・ポッターの執筆に没頭することで立ち直れたという。」
(括弧内引用)

ここにも
「生と死」に
向き合った人がいるわけです。

そんな大袈裟なものに
思いをはせずとも、
この機会に読書に親しんでほしい
というのは親の願いであります。

「東京新聞」によると、
今回の新型コロナウイルスの
感染拡大の影響で、
子ども向け書籍の売り上げが
伸びているそうです。

本を開ければ、
そこには無限に広がる
もう一つの世界があります。
そこに辿り着くには、
本を開きさえすればいいのに、
それができず、
私も三十数年生きてきました。
その後悔が息子に
本を開かせたがるわけですが、
カエルの子はカエルです。
自分のできなかったことが
彼にできるわけがない。
くらいの気持ちで
いることにします。
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