お願いフルーツ「その他」

太陽日記 3月31日

太陽日記 3月31日
令和二年三月三十一日。

昨日のことを書き記す。
年度末の忙しなささえ、
今年はいつもと違う。
新型コロナウイルスは
確かに人の心まで
蝕んでいるようだ。

Twitterで発信される
言葉の一粒一粒が、
暴力性を帯びてきたように思う。
昔から安倍首相に対して
辛辣な罵詈雑言を
浴びせかける人はいたのだが、
そういう人たちの
罵詈雑言の度合いが
うまく表現できないが、
罵詈罵詈罵詈罵詈罵詈雑言、
とでも言おうか。

よくなくなくなくなくセイイエー。

いや、
完全によくない。

近頃は巨人嫌いのように
見えてこなくもない。
なんやかんやで
愛情の裏返しなのだ。
みんな日本が、
この国が好きではあるのだな。

きつめの言葉を使い続けると
それが標準になり、
標準になると物足らなくなり、
さらに
きつい言葉を使うようになり、
それがまた標準になり、
そのうえ、
やってきたこのウイルス禍で
心が制御できなくなっている。

そうしたなかで、
我々を絶望の底に叩き起こした
志村けんの訃報なのだ。
私は職場で第一報を聞いた。
ショックを隠し切れない私に
後輩が「そんなにですか!?」と
聞いてきた。

しかし、
私が思っていた以上に
肩を落としているのを見て
「こんなときは
あったかいお茶を飲んでください」
「私もたかじんが死んだときは
同じような感じでした」
「こんなときは
この心あたたまるニュースを
読んでください」と、
何かと気遣ってくれたものだから、
なんとなく、
余計にショックを
アピールしてしまったような
気がして我ながら情けない。

ショックのアピールは
SNSでも散見された。
(私の愛した)志村けんが・・
というニュアンス。
なかには愛情の大きさで
他者に無駄なマウントを
とるような方もおられ、
こういうところにも、
表現の極端化が進んでおると
嘆かわしくもなったのだが、
それもこれも、
いかに志村けんが、
我々にとって身近で
偉大な存在だったか、
ということなのだろう。

自分でも本当に驚いた。
こんなに気持ちが沈むものかと。
帰宅してから、
自室で飲みながら
お昼間に堪えていた涙を
一気に溢れ出させてやった。

いかん、
これも何か大袈裟に
書いてしまっている気がする。
まぁ、いい。
いまはそんなことも
全部ウイルスのせいに
してやるんだ。

別に誰のために
命を捧げたわけではない。
そんな身勝手な解釈を
どうしてせめて、
心に留めておかないのだろう。

二年前、長男のもとに
サンタクロースから届いた
志村けんのだいじょうぶだぁの
DVDを観ることで、
自分なりの追悼をしたい。
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