お願いフルーツ「その他」
太陽日記 令和二年四月十日
コロナの話ばかりだと
気分が滅入るコロナ疲れって
あれは本当だ。
確かに疲れてる気がする。
ただ、
それはコロナのせいでは
ないかもしれない。
しかし、
いまはなんでもかんでも
とりあえずコロナのせいに
しておけばいいような気もする。
総理が責任を
取ればいいというものではないと
おっしゃったのも、
コロナで頭が
おかしくなったのかもしれない。
みんなが攻撃的になっているのも
コロナのせいだ。
みんなが攻撃的になると、
ひねくれた創造的人間は
カウンターを作りたがる。
それがきっと、
「新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」っていう文章に
繋がっていくのだ。
責め立てるべきところを
まっとうな理由で
責め立てることが、
批判されてはなるまい。
まっとうな理由ではなく、
責め立てている人間が
少なからずいるため、
十把一絡げに、
まっとうな理由で、
責め立てている人間まで、
批判されてしまうのかもしれない。
確実な情報を
正しく入手するには、
事実を述べるに留めている報道を
最初から最後まで、
あますことなく手に入れることだ。
切り取りは怖い。
140字しか書けないTwitterも
発信する側としても、
受信する側としても怖い。
糸井氏だって、
意図通りに拡散されては
いないのかもしれない。
とにかく、
何が悪いかといえば、
全てコロナが悪い。
全部コロナのせいにしてやろう。
私の頭の悪いのも、
コロナのせいにちがいない。
コロナが出てくるまでは
もっと賢かった気がする。
コロナさえいなくなれば、
総理も責任を取ってくれるだろう。
現実をみない
ポエムもなくなるだろう。
独裁政治もなくなり、
移民問題も解決するだろう。
すべてはコロナの仕業なのだ。
コロナさえ、
コロナさえ収束すれば、
すべてが解決するのだ。
ああ、
やっぱり私は
頭がおかしくなってしまったのだ。
と自覚して適当なことを
書いているうちは大丈夫だと
安心している。
気分が滅入るコロナ疲れって
あれは本当だ。
確かに疲れてる気がする。
ただ、
それはコロナのせいでは
ないかもしれない。
しかし、
いまはなんでもかんでも
とりあえずコロナのせいに
しておけばいいような気もする。
総理が責任を
取ればいいというものではないと
おっしゃったのも、
コロナで頭が
おかしくなったのかもしれない。
みんなが攻撃的になっているのも
コロナのせいだ。
みんなが攻撃的になると、
ひねくれた創造的人間は
カウンターを作りたがる。
それがきっと、
「新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰かが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ」っていう文章に
繋がっていくのだ。
責め立てるべきところを
まっとうな理由で
責め立てることが、
批判されてはなるまい。
まっとうな理由ではなく、
責め立てている人間が
少なからずいるため、
十把一絡げに、
まっとうな理由で、
責め立てている人間まで、
批判されてしまうのかもしれない。
確実な情報を
正しく入手するには、
事実を述べるに留めている報道を
最初から最後まで、
あますことなく手に入れることだ。
切り取りは怖い。
140字しか書けないTwitterも
発信する側としても、
受信する側としても怖い。
糸井氏だって、
意図通りに拡散されては
いないのかもしれない。
とにかく、
何が悪いかといえば、
全てコロナが悪い。
全部コロナのせいにしてやろう。
私の頭の悪いのも、
コロナのせいにちがいない。
コロナが出てくるまでは
もっと賢かった気がする。
コロナさえいなくなれば、
総理も責任を取ってくれるだろう。
現実をみない
ポエムもなくなるだろう。
独裁政治もなくなり、
移民問題も解決するだろう。
すべてはコロナの仕業なのだ。
コロナさえ、
コロナさえ収束すれば、
すべてが解決するのだ。
ああ、
やっぱり私は
頭がおかしくなってしまったのだ。
と自覚して適当なことを
書いているうちは大丈夫だと
安心している。