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京都の風景 又旅社と神泉苑

京都の風景 又旅社と神泉苑
365日晴れの町でおなじみ、
三条会商店街のなかにある
三条大宮公園が好きなんです。
子供たちと砂遊びしたり、
遊具で遊んだり。

毎年秋には
三条会ミュージックフェスタが
開催されていて、
地元京都のミュージシャンが
ライブをします。
「私の思い出」という
アドベンチャーロックバンドの
ライブ(彼らはライブのことを
キャンプと呼ぶのですが)を
いつも楽しく見ておるわけですが、
今年は例年通り
開催されるんでしょうか。
新型コロナウイルスの感染拡大、
早い収束を願いたいものです。

三条大宮公園から
東に少し歩いたところ、
商店街沿いに又旅社があります。
八坂神社の境外末社です。
今月8日には
新型コロナウイルスの
感染拡大を受け、
早期の収束を願う特別神事
国家安寧祈願 祇園御霊会が
営まれました。

祇園御霊会といえば、
平安時代の869年、
神泉苑に当時の国の数と同じ
66本の鉾を建て、
厄除けを祈願した神事のことで、
祇園祭のルーツとされています。

神泉苑は二条城の南に位置する
東寺真言宗のお寺で、
いまでこそ、敷地は
さほど大きくありませんが、
平安時代は 現在の
10倍ほどの広さがあったとされ、
又旅社のある場所も
その昔は神泉苑でした。
つまり、又旅社は
祇園御霊会発祥の地でも
あるわけです。
去年はその祇園御霊会から
1150年の年でした。
これを記念して、
去年は‪7月24日‬の
祇園祭り還幸祭の日、
又旅社に3基のお神輿が集まり、
江戸時代の巡行が再現されました。

又旅社は 商店街沿いにある
小さな小さな神社です。
普段は 人通りで賑わう商店街のなか、ひっそりと佇んでいますが、
新型コロナウイルスの
感染拡大を受け、
厄除けのご利益が
クローズアップされております。

そして神泉苑。
いまは小じんまりとしていますが、
平安時代は 北は二条大路、
南は三条大路、
西は壬生大路、東は大宮大路までの
広大な敷地をもつ庭園でした。
池の上では かつて、
天皇や公家が船を浮かべ、
歌やお花、音楽を
楽しんでいたそうです。
ちなみに現在、京都市内の
真ん中を通る御池通りの名前は
神泉苑の“池”が由来となっています。

池にはマガモや
ハクチョウが水面に泳ぎ、
池に架かる橋の上から
鯉にエサを投げることもできます。
住職のお話では、
「地下から湧き出る池の水は、
1200年前から絶えることは
ありません。」とのことです。
祇園祭のルーツである
祇園御霊会が営まれた869年は、
疫病が広がり、地震などの災害や
異変が全国各地で起きるなか、
人々が不安や恐怖心を
募らせていました。
そんななかで、一大国家行事として
営まれたのが御霊会です。
高さ6mもの大きな鉾66本を並べ、
盛大に神事を行うのは
ひょっとすると、
「国を挙げて疫病退散を
行っているぞ」と示す必要が
あったのかもしれません。

長い歴史をもつだけあり、
他にもいろんな伝説が
残されていまして、
例えば、都が日照りに悩まされた際、
東寺の空海と西寺の守敏が
雨乞い合戦をしたのも神泉苑です。
空海が雨を降らすことに
成功したため、
東寺が栄え、西寺が廃れたという
言い伝えが残されています。

また、その後も雨乞いの儀式は
たびたび行われていたようで、
あの源義経が神泉苑で
行われていた雨乞いの儀式で、
舞いを奉納していた
静御前を見初めたという
ロマンチックなエピソードも
残されています。

神泉苑では 毎年5月に
神泉苑祭が行われ、
お神輿や剣鉾を境内に祀り、
子供神輿の巡行や雅楽の舞い、
静御前の舞いなどが奉納されますが、
今年は いま挙げた各種行事は
行われず、
例年とは内容が変更になります。

厄除けのための神事なのに
いつものカタチで
開催できないとは・・
祇園祭もどうなるのでしょう。
おそらくいま、実施派と中止派で
かなり激しく
議論されていることでしょう。
知らんけども。
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